私の地元の二日市温泉は、太宰府政庁が設置された頃から利用されています。紀元663年の「白村江の戦い」で大敗してからは、太宰府政庁の存在意義が高くなりました。中国大陸や朝鮮半島から、多数の役人や商人が政庁詣でをしていたのでしょう。
 太宰府師に謁見する前夜は、二日市温泉で長旅の疲れを癒していたのかも。
謁見が無事に行われ、外交・貿易上の意義のある合意が整った夜は、温泉旅館で大宴会が催されたのでしょう。何ヶ国語の言葉が飛び交い、宴は遅くまで続いたに違いありません。まだ炭坑節は存在しないので、何を踊ったのでしょうか。
 さて、どんな歌を歌ったのでしょうか。漢文で習った李白の「将進酒」を朗詠したのでしょうか。商人に扮していた軍人がうっかり軍歌を歌ったりしたかも。
 
 私が一番関心あるのは、大陸や半島からきた人々がどのようにして温泉まで来きたかということです。私見ではありますが、博多湾で小舟に乗り換えたに違いありません。
牛馬が少なかった時代は船での輸送が効率的です。今の二日市温泉街のメイン通りは当時は川で、川の中に湯が湧いていました。
 
博多湾⇒御笠川⇒鷺田川⇒二日市温泉と上ってきたのでしょう。商人に扮した軍人は始終立上がって周囲を観察し、船頭から危ないゾと注意を受けていたかも。
謁見の際は、温泉宿から鷺田川を御笠川まで下り、御笠川の上流へ進むと太宰府政庁前に出ます。