地質学者の研究によれば、私の事務所(清水行政書士事務所)の場所は、大昔は海中だったそうです。関門海峡の真ん中あたりのイメージです。事務所から見えている小高い場所の住宅団地が当時の岬の先端なのでしょう。博多湾と有明海の海峡です。その後地球が寒冷期になり海が後退。

松本清張さんは日本の古代史の研究者でもありますが、彼の著作の中に、博多湾から有明海へ船で往来できた旨の著述は、私の知る限りありません。私の事務所の近所を流れる筑後川の支流で有明海に注ぐ山口川と、1km先にある博多湾に注ぐ鷺田川の間に運河があれば、前記の往来が可能なのです。朝倉市や日田市に、吉野ケ里にも行けます。

実際江戸時代に秋月藩の朝倉市から博多の櫛田神社付近に船で米を運んでいました。1俵あたりの船代の記録も残っています。魏志倭人伝に「牛馬を見ず」と記されており、小船での移動は当時は重宝されていたと思います。

ここからは、史実の裏付けのない私の妄想です。
きっと船頭は歌いながら船を操っていたと思います。邪馬台国の卑弥呼から運航許可をもらっていることを誇示するためです。追い剝ぎも卑弥呼には逆らえません。呪い殺されます。
『♬♬♬ ヒーとこぎ、ふたこぎ、 ミーかどの(中国の皇帝)贈り物、 コん夜 届けて酒盛だ~ 』と。